2002.02.03 作成

HARENCHI

このタイトル「HARENCHI」とは、1967年10月に自主制作で発表したザ・フォーク・クルセダーズの12曲入りのアルバムタイトルである。そう、そのザ・フォーク・クルセダーズに関して書いたページ。貴方はフォークルのことを知っているか???
 

ザ・フォーク・クルセダーズの歴史

1965年8月
加藤和彦氏は「メンズ・クラブ」誌の読者欄にバンド結成に向けたメンバー募集の告知を出したそうだ。で、この呼びかけで集まったのが、京都医大生の北山修、山城高3年生の平沼義男、浪人生の井村幹生、芦田雅喜と言うメンバーでこれを「ザ・フォーク・クルセダーズ」として活動することとなった。
1965年9月
彼らが最初に人前で演奏した。西陣カトリック教会で行われた「プリティ・コンサート」だった。

その後、数々の大学の学園祭でステージをこなしていたが、芦田と井村は受験勉強の為に脱退、メンバーは加藤(12弦ギター、バンジョー)、北山(ベース)、平沼(ギター)の3人となっていた。

1966年3月
大阪グランド・オール。オプリィ友の会の発行したソノシートブックに「ディングの歌」で参加したが、これがフォークルとしての最初のレコーディングと言われている。
1966年5月
京都でドゥーディーランブラーズ(端田宣彦が参加している)とフォークルでA.F.Lというフォークコンサートの活動団体を旗上げした。大阪外語大に入学した芦田がメンバー復帰
1966年8月
アートプロモーションの秦政明氏(後に高石事務所設立)が開いた「第一回フォーク・フォーク・フォーク」に参加。
1966年10月
GSのメッカ、大阪のジャズ喫茶"ナンバ一番"に3日間出演した。
1966年12月
TBSでスタートしたばかりの若者番組「ヤング720」でテレビ出演を景観した。また、この時期に第二回日劇「フォーク・ソング・フェスティバル」にも出演した。
1967年2月
渡欧する芦田が再度脱退。
1967年4月17日
渋谷公会堂の「シング・アウト・東京」で"イムジン河"が初めて披露される。
1967年5月14日
日比谷野音「ニューポート・フォーク・フェスティバル・イン・ジャパン」では東京のジャックスと初めて共演。
1967年8月17日
大阪のアートボーン・スタジオでレコーディングを開始。9月5日の「帰って来たヨッパライ」をもって全12曲の録音が終了した。西宮にあるレコード制作請負会社"マーキュリー"にプレスを依頼。アルバムタイトルを「ハレンチ:ザ・フォーク・クルセダーズ」とし、全300枚が10月15日に完成。北山の自宅まで輸送された。("マーキュリー"は"帰って来たヨッパライ"のヒットを見て密かに追加プレスをしていたようだ・・・)
1967年10月1日
"フォークル・バイ・バイ・リサイタル"を勤労会館にて開催する。
1967年10月25日
"第一回フォーク・キャンプ・コンサート"に出演。これを最後に解散となった。
1967年12月25日
一年だけの再結成として、加藤・北山に加え、端田というメンバーで再結成。緊急に「ハレンチ」の音源そのままで"帰って来たヨッパライc/wソーラン節"をリリース。
1968年2月
2枚目のシングルとして"イムジン河"を、新生フォークルの3人で吹き込み美しいストリングス入りのバージョンとなるが、2月20日、東芝は突如、この曲のリリースを中止した。
1968年3月
発売中止の変わりに彼らは"悲しくてやりきれない"をリリース。また、同月には主演映画「帰って来たヨッパライ」も封切られた。
1968年4月
毎日TV"メイト7"にレギュラー出演
1968年7月10日
「紀元弐阡年」、唯一のオリジナルアルバム、東芝よりリリース。
1968年7月24日
「当世今様民謡大温習会(はれんちりさいたる)」京都会館第一ホール
1968年7月25日
「当世今様民謡大温習会(はれんちりさいたる)」四ツ橋厚生年金会館大ホール
1968年7月26日
「当世今様民謡大温習会(はれんちりさいたる)」名古屋市公会堂
1968年7月27日
「当世今様民謡大温習会(はれんちりさいたる)」渋谷公会堂

以上四日間の音源を編集し後に「奇想天外破廉恥集団/THE FORK CRUSADERS IN CONCERT」が秋にはリリースされる。

1968年10月
「フォークル・フェアウェル・コンサート」を東京・大阪・岡山・別府で行い、その後 解散。中でも10月7日の渋谷公会堂の公演はレコーディングされる。
1969年2月10日
「フォークルさよならコンサート/THE FOLK CRUSADERS FAREWELL CONCERT」をリリース。
1969年12月1日
「フォークル大百科辞典」リリース。
1990年6月6日
CD「BIG ARTIST best COLLECTION〜フォーククルセダーズ」発表
1995年4月19日
以下のアルバムが東芝EMI「音蔵シリーズ」で発売。
「紀元弐阡年」
「当世今様民謡大温習会」
「フォークルさよならコンサート」
「フォークル大百科事典」
1995年11月25日
ソリッド・レコードより、幻のスタジオバージョンの"イムジン河"を追加した「ハレンチ+1」をリリース。
1998年3月28日
CD「FOLK CRUSADERS AND THEN TWIN BEST」発表。
さんちゃんのレコード評
「ハレンチ+1」
自費出版レコードに幻の"イムジン河"を追加収録したCD。まずは"イムジン河"と言う曲の良さを感じる。そして、すべての出発点である"帰って来たヨッパライ"、往年の名曲の数々・・・フォークの楽しさが十二分に感じるCD。メンバーそれぞれが楽しくやってる感じが伝わってくる。しかし、この段階で、フォークルとは何か?が感じられる
「紀元弐阡年」
唯一のオリジナルアルバム。彼らの才能は端田宣彦が参加したことによって、フォークル節は完成された。ただ、1年だけの活動ということが本当に残念でならない。アルバムの内容も「帰って来たヨッパライ」をはじめ名曲揃い。他の作品がもっと良いため、目立たないが、このアルバムがあるからこその他の作品であるのは間違いない。
「当世今様民謡大温習会」
絶頂の彼らの状態を伝えた実況録音盤。ライブというよりも舞台という感じのする彼らのライブは楽しい。そして感動。楽しさで始まって、後半にうまく畳み込むようなそんな演出がにくい。彼らの若さを十二分にかんじる1枚である。オススメの一枚。
「フォークルさよならコンサート」
短期間しか活動していなかった彼らだが、こういうライブ盤もオリジナルアルバムとして扱っても差し支えなかもしれない。一応、彼らのラストアルバムと言われている。しかし、内容は、楽しいと言うものでもない。どちらかといえば、曲を聞かせてる感じである。とはいえ、名曲を沢山持ってるバンドなので、聞いてて飽きることはない。
「フォークル大百科事典」
解散後にリリースされたベスト盤。ネタがなかったのか、解散後の活躍をつたえたかったのか、このアルバムには、解散後のそれぞれのヒット曲まで収録されている。そういう意味でも、フォークルというバンドがバンドに固執してなかったんだと言うことに気づかせてくれる。入門書的なCDである。
「FOLK CRUSADERS AND THEN TWIN BEST」
東芝EMI/Expressが誇るアーティストがそれぞれリリースした編集盤。特に、「フォークル大百科事典」で示すとおり、バンドに固執しなかった彼らのそんな思いも反映された2枚組のベスト。マニア好みの曲も収録されており、コレクターズアイテム的な内容になっているが、それぞれのアルバムを収集するのも難しいので、そういう意味では良く出来たアルバムである。加藤和彦の「家をたてるなら」や加藤・北山の「あの素晴らしい愛をもう一度」などはCDとしては入手困難ではないだろうか・・・tあ
ザ・フォーク・クルセダーズの謎
一年だけの再結成
ザ・フォーク・クルセダーズは加藤和彦が活動のステップとして行ってきたもので、「ハレンチ」のリリースとともに解散するものだと決めていたようだ。しかし、「ハレンチ」はその収録曲がラジオにかかりはじめ、特に「帰って来たヨッパライ」が大きな話題となった。そこで、この「帰って来たヨッパライ」のリリースのためにもバンドを再結成したいと言う動きがあり、1年のみの活動となったようだ。
"イムジン河"と"悲しくてやりきれない"
この2曲は全く関係のない曲だと思われるが、実はそうではない。当時、"イムジン河"は南北朝鮮の対立を歌った歌であり、日本の業界では放送禁止を余儀なくされた、そんな曲だったのだ。しかし、加藤和彦は何を考えたのか、この"イムジン河"のテープを逆回転にしてみた。すると、加藤和彦の心を打つような曲が流れ出した。そう、それが、"悲しくてやりきれない"のあの旋律であった。そこに加藤和彦は詩をつけて、"イムジン河"に変わる新曲として"悲しくてやりきれない"をリリースした。
こんな感じのバンドにすっごい興味をもった。加藤和彦・北山修・端田宣彦と言う3人のキャラクターにも魅力を感じつつ、この3つのキャラクターがぶつかりあったのがこのフォークルの魅力なんだと思う。歴史に燦然と輝く存在のあるバンドである・・・